表参道を盛り上げる一員として、穏田地区の魅力をお伝えします
鈴木七緒です。
表参道で、アイサロン併設のセレクトショップ、「RiboN」を運営しています。
RiboNは流行の発信地であり、裏原宿として親しまれてきたキャットストリートにあります
前回は、キャットストリートの魅力についてお話しました。
キャットストリートは渋谷区の中でも、穏田地区に位置していてその起こりは江戸時代にまでさかのぼります。
RiboNを通じて表参道を盛り上げる一員として、穏田地区の歴史とそこに詰まった魅力についてお伝えします。
穏田の由来と現代にも根づく文化
穏田は元々「隠田」と呼ばれていたそうです。
その昔、旧渋谷川遊歩道の界隈は「穏田」と呼ばれていました。約400年前、徳川家康が伊賀忍者の一族郎党をここに住まわせたことから、忍者の隠れ里として「隠田」となり、いつからか「穏田」という字が使われたことが由来とされています。渋谷川が流れるのどかな農村で、水車を使って精米や製粉をしていました。この水車は葛飾北斎によって描かれた冨嶽三十六景の一つ「隠田の水車」のモチーフになっています。
引用:渋谷宮下町クロニクル─ ストリートカルチャーが生まれる場所になるまで
(SHIBUYA CAST,2017年3月)
キャットストリートは遊歩道として舗装され、1964年の東京オリンピックのころに渋谷川であったところが道となり「旧渋谷川遊歩道」として親しまれてきました。
穏田を象徴する水車はなくなってしまいましたが、地域の小学校で水車小屋が復元されていたり、キャットストリートで販売されている日本酒のラベルとして「隠田の水車」が採用されていて今でも歴史が大切に受け継がれていることが分かります。
前回の記事でも触れましたが、キャットストリートがいくつもの文化が融合する場になった背景に、時代の変遷に対して地域の人、店舗が一丸となって協力し乗り越えてきた文化が根づいてるんだと感じました。
トレンドが目まぐるしく変わっていく世の中で、穏田地区の方々が形成されてきた文化やそこに込められた想いを大事にして引き続きRiboNの経営に励んでまいります。
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